The Letter
心紙
kokorokami heart card
- 2009
「心紙」という手紙は、ハート形が刻まれた白い葉書と、
そのハート形を「塗る」時を導く幾つかのメッセージから構成されています。
言葉にはし難いけれど「私」のなかに確かにある思いそのものや、ただここに生きているということを証明し定着させるためのキット。
心紙を手にし、メッセージを通じて
ハート形の「塗り手」となる人は、
みずからの「憶い」という揮発性を帯びたかたち無きものに
どうにか、心の内側で触れようとしながら、
その「憶い」の質感そのものや、果ては自らの命の手触りを、
ハート形を「塗る」行為によって抽出し、色やその粒子に昇華させてゆきます。
そうして塗られた心紙が、
メッセージの先に憶い起こした「誰か」へと渡るとき、
「ハート形」というシニフィアン(記号)が
塗られたその色や粒子を
シニフィエ(憶いそのもの)へと精製しはじめる。
心紙は、その機会と物語りをつくりだします。
9枚の心紙
9 hearts
- 2009-2010
「心紙 Heat Card」を数人の男女に手渡す。
「心紙 Heart Card」のもつメッセージのいずれかにあてはまる
(またはいずれかを選ぶ)という人に協力してもらい、
そのメッセージとハート形を「塗る」という行為に対峙した
9人分のドキュメントを作成した。
「心紙 Heart Card」のもつメッセージにあてはまる人は、
同時に、そのメッセージに現れる受け手の人の存在を想起する。
このドキュメントは、
その受け手に塗られたハート形が届くところまで記録する。
心紙をきっかけに、ある私的な物語りと関係性を浮かび上がらせる。
9hearts No.9 from "D"
9hearts No.4 from "H"
9hearts No.3 from "T"
「心紙 Heart Card : 5つめのメッセージ」
- 2009
-
横浜開港150周年記念テーマイベント「開国博Y150」
市民創発プロジェクトつながりの森「心紙 Heart Card 展」にてワークショップ
「心紙 Heart Card : 5つめのメッセージ」
もし、あなたが
いま、「生きている」なら
中心のハートを
あなたが選ぶ色、塗り方で
塗ってください。
そして、完成したら
あなたが大切にしている人に送ってください。
それは、あなた自身でもかまいません。
考察「心紙 Heart card」とは
1、ダイアローグ装置として
2、心紙における「塗る」とは
3、コミュニケーション手段としての心紙
1、ダイアローグ装置として
心紙のもつ特性は、「塗る」前と「塗った」後で異なってきます。
塗る前は、「ダイアローグ装置」として機能し、実際に塗られた後は、思いの充填されたその痕跡を運ぶ「葉書」となります。
実際に「塗る」という行為に至るまでの前段階、ひとが「心紙 Heart Card」に出会い、いまの本当の「気持ち」やかつての「記憶」、置かれている「環境」と対話する。
そして、誰か(自分自身も含む)を想起させる「時間」が生まれると、そこからなんらかの感情や思考が湧き上がる。
そこにまず「ダイアローグ装置」としての「心紙 Heart Card」があります。
2、心紙における「塗る」とは
「塗る」という行為は生身の身体性の痕跡です。
「心紙 Heart Card」という物語りは、心紙に出会ったときが「塗る」(塗ってもらう)という行為へのプロセスの出発点ですが、個人の記憶や風景と密接にかかわり、個人のなかではすでにあった心情、そこから湧き出る感情を「塗る事」によって「質感」を持たせようとする試みです。
心紙における「塗る」という行為も、自己表現やアートセラピーにおける「塗る」という行為による浄化作用の要素を含むからこそ、塗り手は「考える状態」と「無心状態」の間を行き来し、言葉の意味に縛られない質感、痕跡としての気持ちを残すことができます。
そして、心紙がそれら自己表現とアートセラピーと異なる点は、塗り手の「塗る」意識が、手紙を書く意識のように「人」へ向けられていることであり、その人への「気持ち」を塗ることを明確に前提としている点にあります。
人と人との間に存在する複雑な気持ちや伝わらなさ、言葉の意味によってたどり伝えようとしていた、想いの縁(ふち)の中身を、「塗る」という行為を通して表れる複雑な質感や痕跡から、複雑なことは複雑なまま、「こうしてここに気持ちがある」という証明とともにそのまま「見えるもの」にして捉えようと考えています。
3、コミュニケーション手段としての心紙
「心紙 Heart Card」の試みは、言葉によるコミュニケーションと比べて正確であるかを比べるものではありません。
例えば、メールなど文字になった言葉におけるコミュニケーションでは「意味」となってしまっている部分に「心紙 Hear Card」は視覚的な温度、ハート形の触感をもたらします。コミュニケーションにおける「最初に意味ありき」という制約を外します。
そして、ただここに「気持ちがある」ということを証明する。それを伝えることがコミュニケーションのはじまりであり原体験であったのではないかと考えます。
そして、それは、対複数や不特定多数なのではなく、身体のある日常における、自分の身の回りのコミュニティ内の特定のたった一人の誰かに対して届けようとする「気持ち」であって、それはおおげさに言うと自らの生の証にもなりうると考えます。
「心紙 Heart Card」のメッセージのひとつに「ほんとうの気持ちを伝えたい人がいるなら」とあって「ほんとうの気持ちを伝えたいなら」となっていないように、「心紙Heart Card」は、一人と一人との間を紡ぐためにあり、生身の人と人との関わりを信じてみるという前提にあります。
「塗って」「送って(渡して)」「受け取る」という行為には、スピードも共時性も手軽さもありませんが、すぐつながって便利な双方向的なコミュニケーションや複数を相手に文字や画像を送受信しなくてはならない状況から、解放するものであり、アウトプット・インプットするための言葉ではない、「自分の言葉」 と向き合うための行為にもなります。